1年前の風景

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ノモンハンの夏

読みました。

 

ノモンハンの夏 (文春文庫)

ノモンハンの夏 (文春文庫)

 

舞台は第二次世界大戦直前の満州国とモンゴルの国境線。満州国の軍事を支配する日本陸軍関東軍部隊は、モンゴルと満州の国境の境界線に関して、モンゴル(とモンゴルを支配するソ連)との間で折り合いがつかず、幾度となくモンゴル軍と軍事的衝突を繰り返していた。

東京三宅坂日本陸軍総本部では長引く日中戦争の疲弊、国際的な英仏米ー独伊間の不協和音から近い将来勃発するであろう世界大戦の懸念から、これ以上の戦線の拡大を避けるべく関東軍ソ連との不要な衝突は避けるべしとの通達を出す。しかし、関東軍の作戦司令部の辻と服部を中心とした血気盛んなグループがこの指令を曲解あるいは無視し、ソ連軍の戦闘力を過小評価して無謀な国境線での戦闘(のちにノモンハン事件と呼ばれる)を仕掛け、関東軍は後の第二次世界大戦でも類を見ないほどの壊滅的な惨敗を期することになる。

本書はこのノモンハン事件を、主に世界情勢、日本首脳陣、日本陸軍幹部そして関東軍首脳(特に関東軍幹部の辻)といった大局的な観点から、なぜこのような無意味で無謀な戦闘が行われてしまったのかを追うノンフィクション作品になっている。

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一個人の観点から読む戦争記も実に得るものが多いですが、このような世界情勢や日本軍部の観点からみる戦争記も、また興味深かったです。本書の主眼は根性論や精神論、メンツに支配された関東軍幹部の暴走の無意味さ、そしてその暴走が分かっていながら止めることができなかった陸軍本部の秀才たちの無責任さの追及にあります。なぜ彼らはその役職に伴う職務を全うし、日本国の利益と前線で戦う兵士たちのために行動できなかったのか。絶えず著者は彼らの行動の愚かさを私に訴えてきます。

一方で自分自身のことを振り返ると陸軍本部の秀才たちに自分の姿を重なり、著者の非難は私自身にも向かているような感覚になります。果たして自分もまた会社会において日々を無責任に過ごしていないだろうか、実践を伴わない空疎な理論屋になってしまっていないか。常々そういう自分に気づくことがあるので彼ら秀才たちが無責任にも事態を放置してしまうことにあきれつつも、共感を覚え、そして著者の非難が重く胸に響きました。

 

 

本書を読んでいて一番印象的なのは、日本の首脳陣のほとんどは第二次世界大戦がはじまる前から世界大戦が生じる可能性が濃厚であることが分かっていて、独伊から執拗に迫られてる日独伊での三国同盟を結んでしまえば世界大戦に日本が巻き込まれ米英と戦争になること、そして日本の軍事力では米英に勝つ見込みがないことを正確に理解していたという事実です。本書は第二次世界大戦のことは記載ありませんが、本書読めば唯一陸軍(ここは関東軍ではなく陸軍総本部)だけが日本の戦闘力を客観視できず、国民世論を焚きつけて世界大戦に日本を参戦させたとみることは、そこまで大きな間違った認識ではないでしょう。

海軍は自国と米英との海軍力の差を正確に理解し戦争が負け戦でしかないことを再三主張し、昭和天皇はじめとした政府首脳も陸軍が暴走している現状を憂慮して陸軍人事に注文を付けるなど、これほどまで世界情勢と陸軍の危うさを理解しておきながら結局、陸軍の主張通りにしてしまい第二次世界大戦が起きてしまったことは残念でなりません。

そしてその参戦には焚きつけられた我々市井の世論によって強く後押しされていたという事実も忘れてはいけないのではないでしょうか。